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昭和ガラス「いわも」|廃屋の窓が宝石になる、午前11時の光

宮地嶽神社からの帰り道、福間駅方面へとぶらぶら歩いていたときのことです。

いつもと少し違う路地を選んで歩いていたら、新しい家のすぐ隣に、古い廃屋がぽつりと残っていました。

取り壊し費用がかかるから、そのまま放置されているのかもしれない。

そんなことをぼんやり考えながら、なんとなく視線を向けた時、ふと、窓ガラスに目が止まりました。

昭和型板ガラス「いわも」製造は昭和39年(1964年)、日本板硝子。
東京オリンピック開催年に誕生しました。

そこには私が今まで見たことのない、なんとも涼しげなガラスがありました。

「岩藻」と書いて「いわも」

そのガラスは、昭和ガラスの中でも「いわも」と呼ばれる模様のものでした。

漢字で書けば岩藻。岩に絡まる藻のような、波紋のような、有機的な凹凸が刻まれた型板ガラスです。

製造は昭和39年(1964年)、日本板硝子。

1964年といえば、東京オリンピックが開催された年。

日本中が高度経済成長の熱気に包まれ、街も人も、とにかく前へ前へと動いていた時代です。

そんな年に生まれたガラスが、半世紀以上を経た今も、

福間の路地裏の今は誰も住んでいない家でひっそりと光を受けていました。

午前11時の、水の底の宝石

出会ったのは、ちょうど午前11時頃。

昼前の太陽が真上から差し込む角度で、「いわも」のガラスに当たっていました。

その光の反射が——なんといえばいいのか——水面の底のようなのです。

不規則に、少しづつ、静かにゆれている。

宝石といったら大げさかもしれないけれど、

思わず足を止めて見入ってしまうくらい、美しかった。それはたしか。

古い木枠に収まったガラス越しに、誰もいない部屋の暗がりが続いていました。

ガラスなのに、光と闇を行き来しながらゆらゆらと揺れているように見える。

それがまた、光の美しさを際立てていたように思います。

このお家は、きっとセンスのある人が住んでいたのかも

廃屋の窓をよく見ると、「いわも」だけではありませんでした。

もう一方の窓には、「からたち」という別の模様のガラスも使われていました。

昭和ガラスを知っている方ならわかると思いますが、

「いわも」と「からたち」はどちらも、いわば昭和ガラスの”上品な部類”に入る模様です。

ちょっとクセと主張が強め。

それをひとつの家に複数使っているとなると……

相当センスのある、裕福なお家だったのではないかと想像してしまいます。

実は、友人の祖父がそういう家の持ち主でした。

畳職人として成功した方で、

客間・寝室・お風呂場と、部屋ごとにテーマを決めて違う柄の昭和ガラスを使い分けていたというんです。

当時それがどれだけ粋というか、ハイセンスなことだったか。

今でいえば、インテリアコーディネーターに頼んで全室こだわりの建材で揃えるようなもの、

いや、それ以上の美意識だったかもしれません。

昭和の人たちにとって、いろんな種類の型板ガラスを部屋ごとに選ぶことは、

最高に贅沢な、型板ガラスの使い方の”正解”だったのだと思います。

なぜ資料が残っていないのか

昭和ガラスが流通したのは、主に昭和30年代後半から50年代にかけての約20年間。

はっきりとしたことがわからないのが、実にモヤります。

各メーカーが発売した全種類を網羅したカタログは、今ほとんど残っていないらしい。

「いわも」についても、日本板硝子が昭和39年に製造したことは資料でたどれても、

どんな意図で生まれた模様なのか、どの地域でどれくらい使われたのか、

そういった記録はほぼ失われています。

なぜか。

作れば売れた時代だったから、というのが私の考えです。

高度経済成長期のメーカーに、後世のために記録を残しておこうという発想は、

なかなか生まれなかっただろうと思います。

「売れたらそれでよし」。

それは決して責める話ではなくて、あの時代の「楽観的」な空気そのものだったはず。

でも、各社の型板ガラスのカタログが一冊でも残っていたら、

それはあの頃の、良き時代の昭和の暮らしを伝える、相当貴重な歴史の一ページになっていたはずで。

そこは、本当に残念だと感じています。

「新しいこと=正義」の時代が終わらせたもの

木枠からアルミサッシへ。和風から洋風へ。

景気が良かった時代には、新しいものを取り入れることが豊かさの証明でした。

私が小学生くらいの頃、まさにそんな時代だったような記憶があります。

だから昭和ガラスは少しずつ住宅から消えていき、今はもう製造されていません。

その流れを責めることはできません。

私だってあの時代に生きていたら、きっと新しいサッシに替えていたと思う。

でも今、「再開発」という言葉の影で、毎日どこかで古い家が壊されています。

福岡県福間市駅付近。重機のアーム
どんどん再開発の波が押し寄せてくるのがさみしい

一度壊されたら、二度と生まれ変わることはない。

それだけは、確かなことです。

だから私は、こうして足を止めて、写真に収めて、ここに書き残しておきたいと思っています。

宮地嶽神社が近くにある福間エリアは、昭和の当時、きっと今以上に賑わっていたはずです。

参拝客が行き来する道沿いに、センスのいいお家が建ち並んでいた光景を、

「いわも」の光の揺らめきを見ながら、なんとなく想像していました。